『麦ふみクーツェ』 いしいしんじ

 はじめて『麦ふみクーツェ』を読んだとき、”いしいワールド”にすっかり嵌ったものでした。
おすすめして読んだ家人が、たいそう面白がっているのをみてじぶんも再読したくなって、いま久しぶりに手にとっています。
なかなか長編が書かれなくなり、短編やエッセイや旅本のようなものが多いこのごろのいしいさん。
とりあえず出たばかりの『京都ごはん日記』を買ってあるので、ちかく読みたいとおもうけど、薄気味の悪い奇妙な長編物語の新作を、また読みたいものです。

いつか書いた『麦ふみクーツェ』の感想を、ふるいブログからお引っ越し。


                      
*



 すごくおもしろかった、はじめてのいしいしんじ作品。曖昧で、やさしくて、滑稽で、あったかい。
人生の真実が背筋を伸ばしてちゃんとあり、あらゆる音に満たされている。

音楽家を目指した少年が経験する、デタラメだけれど温かい、人生賛歌の成長物語。
数学教師の父と、ティンパニストの祖父と、3人で暮らすぼく。
みんなは祖父の真似をして、ぼくのことを「ねこ」と呼ぶ。

おじいちゃんが束ねる街の音楽隊、港町をおそった災難、用務員さんの事故死、「ねずみ男」の最期・・・・・
ゆっくりと時間軸が前後して、さまざまなことが起こる。
つらいことも、嬉しいことも、とびきりおかしなことも、愛おしい出来事も。出会った人々や事件をとおして、ぼくは成長していく。

普段、当たり前のように感受している、音や色を、無性に愛おしくなる本だった。
人ごみの喧しさも、色の氾濫も、うちゃっておくにはもったいないほど大切なものに思えて、読んでいる間じゅう、いつもより五感を研いでいた気がする。

登場人物は、みんなが魅力的な変人で、しかもなにかしらビョーキ。
背骨の湾曲したひと、盲目のひと、‘ねこ’は体の大きくなりすぎるビョーキだし、数学者の父は心の病だったと思う。
だれもがビョーキ持ちなんだけれど、それぞれの歴史が滲む人生は、誰ひとりとして捨てておけないいいものなのだった。おかしすぎる言動がこころをくすぐる。

私的に好きだったのは、チェロの先生と、その娘のみどり色と、ボクサーのおじさん。
茶色いもやもやのつなぎを着たチェロの先生に、ぼくがはじめて弟子入りした日。初対面の先生の台詞がいい。

「さあ、やれよ」
「部屋をかたづけてくれよ」
「床もふけよな」
「そうだな」
「それはすごいな」

一読すると、ものすごく可笑しなメチャクチャ会話なのに、そのうち潔いこの人の生き様に打たれてしまう。
そういったことの繰り返し。だれもが魅力的なのだ。
清々しく潔く生きる人々の浪漫がいっぱいに広がる。
ゆくゆく恋人同士になるのだろう、”みどり色”という名の女の子とぼくの関係も、またたのしい。

ぼくにしかきこえない、かわいたクーツェの声。あれは、いったいなんだったのだろう。麦ふみの音は。
無表情なそれは、もしかしたら、父と同じように心を病んでいた、ぼくの幻聴だったのかもしれない。
出会いと成長と共に、ぼくは治っていって、たしかな幸せの音を聴いた。
読後感の爽やかな幸福さがとてもよかった。  (2010.8.29)

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by haru733 | 2015-02-22 16:00 | | Comments(0)


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