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愛を読むひと (2008年) 初恋の悲しい枷

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  1958年のドイツ。15歳のマイケルは、学校帰り偶然出会った年上の女性ハンナに心奪われる。肉体も心も彼女の虜となったマイケルは、いつしかベッドの上で、ハンナのために本を朗読することが日課となるのだった。しかし、ある日を境に、突然ハンナは姿を消し、8年後、法学生となったマイケルは、ナチスの戦犯として彼女と法廷で再会することになる―。

原作の『朗読者』を読んだのは、今年の春のこと。すぐに読み返してみたほど、ジーンとくる奥深な物語だった。主演のケイト・ウィンスレットに期待して、でも映画には期待しすぎないようにして観た感想は、まずまずというものだった。

純粋でまっすぐな恋愛映画のようでいて、じつはとてもシリアスな物語。ナチスドイツの爪痕や、思春期ゆえの情欲や、(ネタバレ注意!)文盲ゆえの障壁・・・・・胸が苦しくなるような内容がつまっている。
突然、自分の前を去ったハンナの真実に、逃げずに向き合った法学生の頃のマイケルは立派だった。しかし、いつの間にか彼は変わってしまう。

反面、ハンナの苦しみはわたしはすごく理解できる。バレれるくらいなら裁判で無期懲役を言い渡されたほうがましだ―そう判断するほど、ひたすら隠し通した秘密。彼女の過去も合わせて、ハンナという人物像に惹かれる。
結局、彼女は悲しい最後を迎えてしまうけれど、それは孤独ゆえのものだった。その孤独を生んだのは、紛れもない文盲であることと戦争なのだ。彼女に非はない。

ハンナはマイケルのことを、きっと愛していたに違いない。はじめは孤独を埋めるだけの存在だったかもしれないが、いつしか弟のように、友のように、家族のように慕って頼りたい、唯一の存在になっていったんだろう。
けれど、ハンナの過去を知ったマイケルは、一緒に背負い切れずに逃げ出してしまう。その重さに慄いてしまう。悲しい卑怯が、この物語の大事な核をなしている。

“ 逃げた ”とはいえ、囚人となった、読み書きのできない彼女に、数年後、彼は朗読を録音したテープを送り始める。けして会わないままで淡々と。
テープと本を照らし合わせ、独学で文字を学び始めたハンナから、ある日、初めてたどたどしい文字で手紙を受け取ったマイケルの驚愕が印象に残る。同時に、文字が読めるようになったハンナの、初めて書物に触れる喜びも印象深い。
そんな彼女に会いに行こうとせず、手紙の返事も乞われるまで書こうとしない、一歩退いたままのマイケルが、じわじわと悲しかった。


回想シーンで、青年期のマイケルを演じたデヴィッド・クロスは、初々しいけれどそれ以上の魅力には欠けているかもしれない。成人したマイケル役にはレイフ・ファインズだけれど、やはりこの俳優さんを魅力的だと思うことができない。ケイト・ウィンスレットがひとりで演じたハンナは素晴らしいのだけど。

原作では、映像になると薄れてしまった、ドイツの歴史から切り離すことのできない過去と、次世代が向き合わなければいけない大きな問題が秘められている。ドイツを舞台にしていながら、言語が英語になってしまったのは残念。原作はとてもすばらしかった。  (124min)

監督 スティーヴン・ダルドリー/原作 ベルンハルト・シュリンク 『朗読者』/ アメリカ=ドイツ合作
by haru733 | 2010-07-26 00:00 | 多国合作映画 | Comments(0)

インド 3

アーグラー


 翌朝、列車は早朝に、デリーから200キロほど南のアーグラーに到着するはずだった。
しかし、途中、下りの列車を待つのか、何度も停車していたらしくなかなか着かない。予定の時刻はとうに過ぎているのに。
インドでは、なにがあっても仕方がないと、このころには慣れているので、じーっと待つだけ。

寝台から降りて、はじめてトイレットペーパー持参で用を足し、車窓を眺めてみる。横を通り過ぎていく小さな村や町の人々の朝の営みが見えた。頭に鳴るのは『世界の車窓から』テーマソング。
線路のすぐ横で、手桶を脇に置いて野ウンコする人がいたのは、いささかかのカルチャーショック。
しかしこれも、めずらしい光景ではないと、三度目も見ると当たり前になってくる。

アーグラーの手前15分の場所で、汽車がまた停まる。同じ車両の外国人旅行者たちも、みんなそわそわし始めた。
そのまま30分以上も動かず、いよいよここで途中下車しようか・・・・とガイドのチャマンさんと相談し始めたころ、列車は無事に動き出して、アーグラー・カント駅に到着した。


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数日前、お世話になったデリーの運転手さん(仮名・サリームさん)が、笑顔で迎えてくれる。
安全運転のジャマールさんから一転、スピード狂の彼はをぐんぐん速度を上げて突っ走る。懐かしい、クラクション攻撃。
明日は彼の運転で、3・4時間かけてデリーに戻るのかと思うと、背筋がすこし寒くなった。
アーグラーは観光地という印象だが、やはり貧しい町並みが続く。この土地の人間はうるさい人が多いと聞いて、多少身構えてしまう。


世界で最も美しいお墓、タージ・マハルに到着した。
チケットを買うと、ミネラルウォーターと靴カバーが渡される。敷地内を走るバスに乗って、いざ入口まで。


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巨大さが伝わる角度から


これまで見てきた寺院は、ほとんどがはだしで中に入らなければならなかったけれど、ここは靴にカバーをつけるだけでいいのらしい。
裸足になって、焼けた敷石の上を歩いた、ヴァーラーナスィーでの思い出が蘇る。荒行に近いものがあったし、やけどもした。
足裏の軟弱さを痛感しながら、日陰だけを頼りに、一気に駆け抜けてヒーヒー言っているわたしたちの横を、インドの人々は涼しい顔で歩いていく。


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タージ・マハル側から見た、入口の城壁。
本物はでかい。幻想ではないかと思うほど美しい。こんなものが目の前にあること自体、夢をみてるようだ。


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裏手に出ると、ヤムナー河が流れている。
河畔には、水牛や他の野生動物たちが暮らしている。いい眺めで清々しい。
ここへ来る前、もっともらしく笛を吹きながら、タージ・マハルを案内してくれたおじさんに、チップを要求された。
騙されたのかもしれないけれど、まぁいいか、という気にもなる。


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アーグラー城から眺めた、タージ・マハル。わたしはこの霞んだ幻影のようなタージが一等好きだった。


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アーグラー城はアクバル帝によって1565年に築かれた、ムガル帝国の権力の象徴。幾つかの宮殿や塔が、それぞれの代に建てられた。


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タージ・マハルのような均整のとれたイスラーム建築もいいけれど、私的にはこのアーグラー城が、旅先で見た建築物のなかで一番好きだった。
細やかな細工に見惚れてしまう。


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妃のために豪奢なお墓タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンは、息子たちによってここに幽閉されていた。
当時は無数の宝石があしらわれていたディーワーネ・アームのすぐ隣、ムサンマン・ブルジュという囚われの塔に。
1666年74歳で息を引き取るまで、ここからタージ・マハルを眺め暮らしていたのだと思うと、とても感慨ぶかい。


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アーチ型の天井。一部剥がれおちてはいるものの、彫刻が残っている。

外に出ると、敷地に棲みついてる野生のリスが、木にたくさんいるのがみえた。
チャマンさんが持っていたジュースをそっと石の上に溢すと、何匹も寄ってきて飲みはじめる。すごくなつっこいリスたちなのだった。



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午後からもいろいろあったのだけれど、とりあえず、この日泊まったホテルの部屋はこちら。
天井にファンが回っているのは、どのホテルもおなじ。冷房完備で、なかなかキレイに見えるが、実際にいると、日本の清潔さとは雲泥の差がある。

旅のあいだ中、汗だくの洋服は、毎日アクロンで洗濯して、風をあてて翌朝には乾いていることを繰り返してきた。
ところがこの日、昨夜の夜行列車の疲れか、気の緩みか、服といっしょに家人の携帯と財布も洗ってしまう、、、。
インドの脆いお札は、それでもなんとか無事だったが、携帯はご臨終・・・・。しばらく音信不通になってしまったのだった。


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道路に面していないと、部屋は静かでいい。日に何度か停電はするけれど、気にならなくなっている。
この日も、夕食の席で、ビールを注文した。インドに来て二回目の飲酒。度数が高いのか、酔いがまわるのが早い気がする。

選んだメニューはこんな感じ。
インドではポピュラーな、中華料理の炒飯。インドの炊き込みご飯プラーオ。
酒のつまみは、うずら豆の粉で作ったスパイシーなせんべいパパル。

インドの夕食はたいてい9時だから、チャマンさんと一緒にレストランで夕食を食べることはなかった。でもこの日、インド最後の晩餐なのを知ってか知らずか、わたしたちが食べているあいだ、ずっとむかいに座って世間話をしていた。
息子さんのこと、日本のこと、インドの政治の話や、旅行者のことなどなど、たくさん話した。
笑の絶えないとても楽しい夕食だった。



再びデリー



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 アーグラーでのことを、ちょっと追記。
インドでボリウッド映画を観れたらいいなーという思惑が、アーグラーでちょびっとだけ叶ったのだった。
ホテルから数キロ離れたショッピングモールにある、映画館。ちょうど時間があったのが『Raavan』というアクション映画だった。
だけど・・・じつはイヤな予感・・・・。
チャマンさんには「インドの伝統的な派手に歌って踊る映画を、本場の劇場で観たい」とちゃんと告げていなかったので、歌いも踊りもしない、いたってふつーのアクション映画を観る羽目になる。
30分で出てきたけれど、もったいないなかったよ。
インドに来れば、どこでも歌って踊る映画が放映されているものと決めつけていたけれど、ちゃんと話をきけば、そんな映画はもうあんまり作られていないのだそうだ。予告にも、コメディとか、真面目な政治映画とかがかかっていて、歌ったり踊ったりする映画はない(汗)
ここがムンバイとか、もっと大きな都市なら選択の余地はあったかもしれないけれど、かかっている三本とも、現代風のふつうの映画なのだった、、、。
リベンジは、いつの日か、ムンバイで。そう心に誓いつつ、映画館を後にした。

わたしの入った劇場は、新しいモールのせいもあるけれど、小ギレイなシネコンという感じ。日本となんら変わりない。料金設定は、平日と週末、午前と午後で違い、最高350ルピー(700円)、最低60ルピー(120円)で映画が観られる。(写真はチラシとチケット)
わたしの座ったのはGold席、午前だったから70ルピー。

午後からもう一度、空き時間に、家人とふたりで、ホテルからこのモールへと歩いてみた。一階のマックでハンバーガーとアイスコーヒーを食し、少しだけお土産ものを買い、帰りは値段交渉をして、オートリクシャーに乗ってホテルまで帰ったりもした。


ちなみに、右の写真はヴァーナーラスィーでの朝食。
ジャガイモ入りのドーサー(豆と米の粉を練って鉄板で薄く焼いたもの)。ダヒーというヨーグルトと一緒に食べる。
普段から写真を撮る習慣がなくて、なんと、これしか食事の写真がない・・・・ちょっと後悔。食事時なんて、とくにカメラを出す気にもならずにいたんだけど、撮っておけばよかった!



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アーグラーを離れる朝が来た。高速道路にのって、デリーに戻る。写真は料金所。
高速とはいっても、自動車や馬車や自転車がいっしょになって走る道。路肩はそのまま土の大地に繋がっている。
たまにクラクションを鳴らして車が逆走してくるので、おちおちしていられない。


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トイレ休憩に寄ると、観光用の象がいた。「近くに寄れよー」とうるさいので、かえって近寄れない。
レストランに入り、ペプシを買おうとしたら100ルピー(200円)というので「それならいらない」と冷蔵庫に戻す。いちいち値段交渉をするのは大変だ。



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ニューデリーから南に15キロの、クトゥブ・ミーナールに到着。
この巨大な塔は、奴隷王朝のスルタン(イスラムの君主)が、ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てたもの。


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高さは72・5メートルもある。
赤砂岩と大理石でできていて、外壁には図案化されたコーランが刻まれている。


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インディラー・ガーンディー国際空港から、数分おきに旅客機が飛び立ち、塔のすぐ近くを通る。
その振動のせいで、クトゥブ・ミーナールは傾きはじめているのだそうだ。
永遠にここに聳えているのは、ムリかもしれない。でも、せめて旅客機の航路を変えるくらいなら、できそうな気がするけど。


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すぐそばには、インド初のモスク(クワットゥル・イスラーム・マスジット)があり、なんと中庭には、グプタ朝時代4世紀に建てられたという鉄柱が、いまも腐らずに建っている。


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ヒンドゥー寺院の石柱が再利用されているとはいえ、見事な景観だった。
遺跡の類は、ここでおしまい。つぎからは、デリーの最も近代的なインドを見に向かった。


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大統領官邸や、国会議事堂(上の写真)のあるあたりは、インド門へむかって、広い広場になっている。
芝生でくつろぐ人、散歩する人、テレビの中継車も多く停まっている。


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インド門は、1911年、イギリス領インドの首都が、コルカタからデリーに移されるとき、英人建築家ラチェンズによって建設が開始された。完成は1931年。
近くで見ると、第一次大戦の戦没者の名がびっしりと刻まれていた。この日は清掃中らしく、足場が組まれ、作業している人が見える。


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各国の領事館が並ぶ、閑静でリッチな街並みもみた。この辺りで、紅茶の専門店に寄って、お土産を買いこんで、とても豪華な昼食を頂いたのだけれど、お店の名前をメモっておくのを忘れてしまったよ。
4種類のカレーと、ナーンにライス、羊肉のミンチを串焼きにしたシークカバーブ、タンドゥーリーチキン。それに新鮮なマンゴージュースとラッスィーもいただいた。
奥の席で、領事館関係の奥さまがたと思しきセレブな日本人女性が、食事している姿が見えた。
これまで目にしてきたインドと、縁あってこうして訪れているわたしの生活と、富む人と。ほんとに一概には語れない、インドという国のデカさよ。

午後からは、コンノート・プレイスという地下鉄のすぐそばにあるショッピングモールへ赴く。
パリカ・バザールでは呼び込みの声が賑やか。若者たちがたくさん集う。似たり寄ったりの店が多くて、結局おみやげになりそうなものを見つけることはできなかったけれど、インドの別の一面を見れた気がした。
円形をしているので、ぐるり歩いて一周してから、インディラー・ガーンディー国際空港へ向かう最後のドライブ。

5日間お世話になったガイドのチャマンさんと、運転手さんにお礼をして、別れて、夜9時のエア・インディアにて帰国。
ちなみに、帰りの機内では『アバター』を観つつ。




  長々とお付き合いくださって、ありがとう!
インドは奥が深いです。また行きたいなー印度。

by haru733 | 2010-07-04 21:59 | 旅行 | Comments(0)

インド 2

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 すごい人出のなか、ガンガー(ガンジス河)へと向かう道を歩く。
すべてのヒンドゥー教徒にとって、聖なる河ガンガーは特別。インド各地から、各国から、毎年100万の人間が、ここを訪れる。


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やっとガンガーが見えてきた! 夜に行われるヒンドゥー教の祈りの儀式プジャーを見学するため、ダシャーシュワメード・ガートに、だんだんと人が増えていく。


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広大な大地に、なにもかもを飲み込んで、悠々と流れるガンガー。
この河幅が、雨期には何キロにも膨らんで、流れはずっと早くなるという。
いまはゆったり、どちらに向かって流れがあるのか、わからないほど静かに流れている。


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対岸へ渡るボートは大賑わい。観光客よりもインドの人々が多い。屋形船みたい。
少しずつ辺りが暗くなってきて、ますます人が増え、儀式とはいえなんだかお祭りみたい。
ピンク色の綿菓子を買ってもらって喜ぶ子どもたちがいた。その様子だけ見ていると、どこの国もおんなじだなぁと思う。


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なぜかサイババ。インドではまだ根強い人気なのらしい。ニセモノのサイババさんがいっぱいいると、ガイドさんが教えてくれる。
そういえば、デリーのレストランで、隣に座っていた男性の携帯の呼び出し音がサイババ・ソングだった。


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プジャーのステージ。どの位置からでも見学できそうだったが、すぐ傍の店のテラスで飲みものを飲みながら見るのが、観光客の一般スタイルらしく、わたしたちもチャマンさんに連れられて二階のテラス席へ。
周りの店にも、日本人をはじめ外国人観光客がたくさん集まっていた。
ペプシを買うが、お高いのはしかたない。この場所を買ったようなものだもの。


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日が暮れて、いよいよ祈りの儀式がはじまる。心なしかそわそわして、どう考えても、お祭りのようなのだった。


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お香が焚かれ、あたりに独特のいい匂いが漂う。厳粛さも神聖さもないかわりに、なにかのショウのように華やかだった。
踊りと音楽が、ビンドゥー教ならでは。仏教のように、有難くなる雰囲気ではなく、気分の高揚する明るい祈りの風景。
蝋燭のいっぱい灯ったものが運ばれてきて、クライマックスへ。


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パシャパシャ写真を撮りながら見学していたこの時、たまたま隣に座っていたスペイン人カップルのカメラが目に止まった。なんと! SONYのまるっきり同じカメラではないですかー。
あちらも気がついてニッコリ。「おなじ~おなじ~」と見せやっこ。




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この日は、ホテルに帰って、夜の9時すぎに夕食。(上の写真はホテルの部屋から見えた景色)
日本人の感覚では遅いと思うけれど、インドではこの時間に晩ご飯を食べるのが当たり前。
そういえば、昨夜7時に夕食をいただいたら、レストランは私たち以外だれもいなかったっけ。
お腹がすいて、欲張って、カレーの他に、タンドゥーリー・チキンも頼んでみる。けれど・・・かたくてあまり美味しくない。(後日、別のレストランでいただいたものは美味しかった)
出される量が多いので、思った以上に早く満腹になって、食べきるのに難儀してしまった。

インドのカレーはオイリー。
数食続けただけで、胃が疲弊してくるのがわかる。
お腹を壊す話はよく耳にするけれど、それは水だけのせいではなく、油ぽいカレーと香辛料のせいでもあると思われる。味は申し分なく美味いのだけれど。


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ここもなかなかキレイ。しかし布団をまくるとシーツが汚い。きっと洗っても落ちないヨゴレなのだろう・・・・。
仕方ないから、ベッドの上に寝転がって、バスタオルをかけて、この夜、寝た。
窓の外の道は、車やら牛やら人間やらリクシャーやらが、夜中まで通る。おかげで一晩中クラクションが鳴りやまず、たびたび起されながら眠った。




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 早朝4時に起きて、昨夜プジャーを見たガートへむかう。朝日の登る前、すでに沐浴する敬虔な人々の姿。


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ボートに乗って、いざガンガーへ。願いが叶ってほんとうに感無量。ずっと感動していた。
ダシャーシュワメード・ガートからアッスィー・ガートのほうへ漕ぎだす。


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子どもたちを集めて、ヨガを教えている風景。みんな早起きね~ぇ。日本なら、ラジオ体操といったところ。


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すでに、洗濯のお仕事も始まっている。板に打ちつけて洗い、そのまま土草の上に干す。
昨夜、寝たベッドシーツも、きっとここで洗ったもの。

さすがに、ガンジス河でバタフライはしなかったけれど、ボートの縁から、ガンガーの流れに足を垂らし手をひたす。
時おり、川面にピシャリと魚が跳ねる。栄養豊富な水で育つ魚は、さぞかしデカイのだろう。釣り糸を垂れる人の姿もあった。


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マニカルニカー・ガート



たくさんのガートをとおり越し、ボートは向きを変えて、マニカルニカー・ガートへ到着した。
ここは遠藤周作さんの『深い河』でも、大切なシーンを担った場所。
遺体を焼くのに使用する薪が、あたりにたくさん積まれている。燃えているのは火葬の焔。
生と死がものすごく近い場所にある、エネルギーや気の多さに圧倒されてしまって、どきどきした。
この場所では、カメラを出すことすら禁じられているのだけれど、ただ居ることはかまわない。
もう少し時間のある旅なら、もっとずっとこの場所にいたかった、見届けたかったと、切に思った。

ここから、陸に上がり、ガートを守る人々の暮らす路地を歩いた。すごい体験だった。
狭くて汚くて、不快な匂いが漂っているとしても、ここで一生を送って、最期には薪で焼かれガンガーに流されるという人生も、ありだと思える。




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ホテルに戻り、朝食にはドーサー(豆と米の粉を練って鉄板で薄く焼いたもの)をいただいた。なかにジャガイモの煮たのが入っていておいしい! 
ダヒーというヨーグルトと一緒に食べるのがインド流。

夕方発の寝台列車まで、この日もいろいろ見てまわる。
バナーラス・ヒンドゥー大学内にあるヴィシュワナート寺院、インドの巨大な立体地図があるバーラト・マーター寺院(写真は割愛)

予定にはなかった、シルクの織物工場へも行った。
そらそらきたぞ――という感じで、「二階へきなさい」といい「どれがいい?」という。
こうやって大理石とかウールとかシルクのお高い製品を買うためにインドへ来たわけではないので、この後からもそういう場所へは連れて行かないでください、、とチャマンさんに念をおして、クッションカバーをひとつだけ買って工場を出る。

お昼には、レストランでターリーを。飲み物はレモン味のLimca。
どちらもとっても美味しかったけれど、そろそろブラックコーヒーが飲みたくなってくる。
インドに来てからというもの、「Black coffe」と頼むと砂糖とミルクのたっぷり入ったものが出てくる。訝しがりつつ甘んじて甘いコーヒーを飲む日々はつづく・・・・。
インドの人は苦いコーヒーを飲まないのね、きっと。


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午後からは、初めてリクシャーに乗ることができた。
とはいえ、値段の交渉は現地のドライバーさん、ジャマールさんがしてくれて、私たちは乗るだけ。無力。
目的地は、真っ赤な壁が目立つドゥルガー寺院

リクシャーワーラーさんの背中ごしに、すこしだけ目線の高くなった道路が、後ろへうしろへ流れていく。こんなに暑いのに、三輪のリクシャーを漕ぎ続けるのは、過酷な仕事だなぁ・・・・。
お客とはいえ、申し訳なくなってくるけれど、風は気持ちい。

無事、ドゥルガー寺院に到着。
ヒンドゥー教徒しか入ることのできない入口を窺っていると、なかから「出ていけ!」と怒鳴られて、そうそうに退散した。

お茶の時間には、道端で熱いチャーイを飲んだ。とても美味しいから、おかわり。
素焼きの器は素朴で、持って帰りたいと頼んだら、くれた。というか、ジャマールさんが、口をきいて買ってくれた。


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そしてついに、ヴァーラーナスィーを離れる時がきてしまった。ここからアーグラーへ、寝台列車に乗っていく。
傾きかけた太陽が、コンクリートに照り返してすごく暑いホームに、ゴミだらけの線路、牛が目の前をゆうゆうと歩いていく。
汽車がホームに入ってくるたび、し尿の匂いが立ち上り息ができず、疲れと暑さに追い打ちをかける。
離れがたい、ガンガーのある町、2日間お世話になったジャマールさん。しかし・・・・汽車が予定より1時間半以上遅れて構内に入ってくる頃には、早く寝台に横になって休むことばかり考えていた。


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インドの汽車が遅れることは、百も承知、、、だったけど、いつ来るのか、なんで遅れているのかすら分からないで灼熱のなか待つのは、過酷。
やっと汽車に乗り込んで、座る場所もないので、寝台の二階にすぐ収まって、そのまま夜ごはんも食べずに眠ってしまった。
目が覚めたら、もうみんな駅弁(カレー)を食べていて、わたしも急いで掻きこむ。

その弁当のゴミが、汽車のドアから外へ投げられる。それでいいのかインド・・・・と、この時だけは、貧しさなどとは別の怠慢が垣間みれて、怒りと悲しい気持ちがわいてきた。


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それでもとりあえず、また寝転がる。
本を読みたかったけれど、ヘッドライトが壊れていて暗くて、寝るしかできない。
列車は時おり停まりながら、そんなことは知らずに、わたしは朝までぐっすり眠っていた。




                                                    つづく
by haru733 | 2010-07-04 21:55 | 旅行 | Comments(0)

インド

デリー

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 早朝4時起きで、新千歳~成田へ。成田~デリーへ。
インド上空は晴れ。畑と、乾いた茶色の大地と、奔放に蛇行して流れる川が眼下に広がる。
直行便で8時間半の空の旅のあと、ついにインディラー・ガーンディー国際空港に到着した。
時差は日本の3時間半遅れ。


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空港を出ると、インド人のガイド・チャマンさんと運転手さんが、出迎えてくれている。
この日、外の気温は40℃! (あとはずっと37~38℃だったけれど)
 
夕刻、まずは、ホテルへと向かう。
この短いドライブに、インドの道路ルールに度肝をぬかれたよ。
車と、バイクと、リクシャーと、牛と、人間・・・・もろもろが入り乱れて走る道路は、まさに混沌! 
私たちの運転手さんも例外ではなく、縦横無尽にかっ飛ばし、クラクションを鳴らしまくり、人ひとり轢きそうになりながら、ホテルに辿りついた。


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近代都市のイメージがあるデリーとはいえ、ホテルの外はこんなに荒廃している。
瓦礫と、とにかくゴミまたゴミ!
現地の人々の視線がすごーく気になる。
きっとあちらも、私たち日本人がすごーく気になる。

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人間と、あらゆる乗り物と、野良の生き物であふれる道。
バイクやスクーターや自転車の大勢乗りは、こちらでは常識だ。

7時半からの夕食まで、すこし時間があったけれど、とりあえずは部屋に落ち着いた。
長距離移動の疲れをとるのと、さっそく驚きのインドを、頭と心ですこし整理するひととき。


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ひとつめの部屋は、こんな感じ。
待てばシャワーにお湯も出るし、想像してたよりずっといいホテルだった。
インドでは、日に何度でも停電するのは当たり前で、毎日必ず、短い時間とはいえ停電するのだけれど、帰る頃には、それにもすっかり慣れてしまう。空港が停電するのには驚いたけど。


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チャンネルが100もあるという、テレビ。インドで一番人気だというスポーツ、クリケットの試合がたくさん放送されていた。映画チャンネルも多い。
時差があるので、夜の7時半からというベストタイムで、サッカーワールドカップ日本VSパラグアイ戦を応援できたのはラッキー。
PKになったところで、疲れて、眠ってしまったけれどね。


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気になるバスルームはこんな感じ。
一応トイレットペーパーをワンロール持っていったけれど、どこも備え付けてあって一安心だった。
インド式につかう手桶も完備。


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これからよく目にすることとなる、油を売る人々。
混沌たる人間の渦と、なにもしていない人々とのギャップが、まさにインドなのだなぁ。


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恐る恐る、家人とふたりで、夜と朝、ホテルの周りを散策してみた。
オートリクシャーがわらわらと寄ってきて、「どこへ行くんだ?」「乗っていけ!」という。
道ゆくインド人たちは、おちょくるように「ヘイ、ジャパニー?」と声をかけてくる。
なかなか怖い。


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ゴミだらけの崩れかかった歩道を、夜歩くのは、さらに怖くて、過度に警戒したまま一日目のデリーは過ぎていった。




ヴァーラーナスィー



 翌朝、運転手さんの車で、デリーの国内線ターミナルへ向かう。
インドの北東、ガンジス河の流域に位置するヴァーラーナスィーは、空路で1時間15分ほど。
この地は、「ベナレス」「バラナシ」など色々に呼ばれるけれど、独立後の正式名称はヴァーラーナスィーという。
北はワルナー川(Varuna)に、南はアッスィー川(Assi)に挟まれていることが由来だとか。

予定より、30分ほど遅れで昼過ぎに到着。本日も快晴。
ホテルでも乗り物内でもそうだが、キンキンにエアコンが稼働しているため、空港に降り立ったときの熱風が、やけにツライ。
空港に降り立ってすぐ、わらわらとリクシャーワーラーやいろんな客引きが押し寄せてくる。
無視して、木陰に逃げ込み、ヴァーラーナスィーでの2日間、お世話になる運転手さんが来てくれるのを待った。

ガイドのチャマンさんが、しきりに携帯で連絡をとっているあいだ、夢にまで見たこの町の空気を、全身に受け止める。
昨日から、すでに気づいていたインドの匂い。
スパイシーな体臭と、お香と、けもの臭と、し尿の交じった匂い。

そうこうしてる間に、40代半ばの凛々しい運転手さん(仮名=ジャマールさん)が到着したので、さっそく観光に出発した。
うってかわってとっても安全運転をしてくれるジャマールさんは、クラクションをあまり鳴らさないし(彼が鳴らさなくても、周りは容赦なく鳴らす)、度々ある段差ではかならずスピードを落としてくれて、安心して乗っていられた。


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デリーより明らかに緑が増えた。乾いた印象はなく、もうすぐ始まるモンスーンの季節が過ぎたら、畑には農作物が植えられて、もっと緑豊かになる。

道幅は狭く、貧しい人が増えた。牛もぐっと増えて、道路をふさいでしまう。
ただでさえ狭くて混沌とした道は、あっちこっちで工事をしていた。


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わたしたちには、一見、廃墟のように映るコンクリートやレンガの建物が立ち並ぶ。
お店の前には必ず、だべりながらおしゃべりしてる人や、こちらを穴があくほどじっと静観する男たちがいる。
この日は日曜だったので、多くの店がシャッターを閉めてお休みしていた。
人通りも、いつもよりは少ないらしく、インドの人はみんな暑さを避けて、休日は家でテレビを観たり、お昼寝して過ごすのが一般的らしい。


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寝ているのか、倒れているのかわからない人間がいる。
こんなに堂々と、道端の日陰でお昼寝できることが、ちょっと羨ましくもある。
いたる所で油を売る男たちに比べ、女性の姿を見ることが少ないのは、やっぱりインドが男性社会だからだ。
道端で動物がバッタリ倒れて死んでいるので驚いたけれど、のちのち、さほど珍しい光景ではないのだなぁ、と気づく。
野良犬たちは、痩せてガリガリで、さすがに狂犬病と思しき犬には出会わなかったけれど、徘徊する姿がちょっと怖い。


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(カメラを忘れて写真撮れず、これはお借りした画像です)



最初の目的地サールナートに到着。
サールナートは、町から10キロほど離れたところにある、四大仏跡のひとつ。ここでブッダは5人の修行者たちに会い、覚りの真理を初めて語ったのだという。

閑静で広々とした敷地は公園のようで、いたるところに地元の恋人たちの姿があった。
清々しい場所だけれど、モンスーンを控えたこの時期は蒸し暑く、38℃ほどとはいえ、少し歩くだけでくらくらして、汗がふきだしてくる。

上の写真はダメーク・ストゥーパ
6世紀に造られた仏塔で、直径26メートル、高さ44メートル。親しみの湧く造形と、細かく刻まれている模様が美しい。


036.JPG


ブッダ、弟子たちに説法の図 


この一帯には、チベットやビルマの僧院、中国や日本の寺が建っていたけれど、それらは見ず、考古学博物館を見学した。
ここはカメラの持ち込みにうるさくて、鞄ひとつ持ち込めない状態。
携帯電話すら、入り口で没収されて、そのまま、見事なダメーク・ストゥーパもアショーカ王の石柱もカメラに収めることはできなくて、ざんねん。


2219799031_1a3a8f1fc5.jpg

(こちらもお借りした画像です)

上は、ムールガンダ・クティー寺院内の壁画。
ブッダの生涯を順をおって描いたこの大作は、戦前、日本人画家・野生司香雪(のうすこうせつ)が描いたもの。
奥へ行くと金色のブッダ像が鎮座していて、その下には仏舎利が眠っている。


寺院の外。神聖な巨木(ガジュマルだったような・・・)の葉と木のかけらを、お金を払うともらえる。
ガイドのチャマンさんが、「縁起ものだからもらっていけ」というのでいただいた。というか、買った。

このあとは、早めにホテルにチェックイン。暑くて消耗した体を休めつつ、一着しか持たなかった着替えを手洗いして、とりあえずシャワーを浴びてさっぱり。
ホテルの写真は、次回に。
夕刻、ついにガンガー(ガンジス河)へと、むかった。


                                              つづく
by haru733 | 2010-07-04 21:50 | 旅行 | Comments(0)


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